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ほたる

蛍

織田 作之助

「文芸春秋」1944(昭和19)年9月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 10,875 字 · 21 页

青空文庫

追われて逃げる者にはとくに早船を仕立てたことはもちろんである。

やがてそんな登勢を見こんで、この男を匿ってくれと、薩摩屋敷から頼まれたのは坂本龍馬だった。伊助は有馬の時の騒ぎで畳といわず壁といわず、柱といわず、そこらじゅう血まみれになったあとの掃除に十日も掛った自分の手を、三月の間暇さえあれば嗅いでぶつぶつ言っていたくらいゆえ、坂本を匿うのには気が進まなかったが、そんなら坂本さんのおいやす間、木屋町においやしたらどうどすといわれると、なんの弱みがあってか、もう強い反対もしなかった。

京の木屋町には寺田屋の寮があり、伊助は京の師匠のもとへ通う時は、そこで一晩泊ってくる習わしだった。なお登勢は坂本のことを慮って口軽なおとみもしばらく木屋町の手伝いに遣った。ところがある日おとみはこっそり帰ってきて言うのには、お寮はん、えらいことどっせ。木屋町にはちゃんと旦那はんの妾が……しかし登勢は顔色一つ変えず、そんなことを言いに帰ったのかと追いかえした。おとみは木屋町へ帰って何と報告したのか、それから四、五日すると、三十余りの色の黒い痩せた女がおずおずとやってきて、あの、こちらは寺田屋の御寮人様で、あ、そうでございましたかと登勢の顔を見るなり言うのには、じつは手前どもはもう三年前からこちらの御主人にお世話をしていただいて