轻松读懂日语经典作品
ja-reading.com
轻松读懂日语,轻松阅读日语。在线阅读日语经典作品。支持在阅读过程中显示假名、查询生词、翻译句子。
しんらん
親鸞
三木 清
「展望」1946(昭和21)年1月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 36,550 字 · 73 页
ここにいはく、千五百年に拘※弥国にふたりの僧ありてたがひに是非を起してつゐに相殺害せん。よりて教法竜宮におさまる。涅槃の十八および仁王らにまたこの文あり。これらの経文に准ずるに、千五百年ののち戒定慧あることなし。」諸種の経文は、釈迦の死後、やがて正法が滅び、戒を持する者がなくなるであろうと言っている。かくて「たとへば猟師の身に法衣をきるがごとし」といい、あるいは「妻を蓄へ子を挾む」といい、またあるいは「おのれが手に児のひぢをひき、しかもともに遊行して酒家より酒家にいたらん。」といっている。これらの言葉において親鸞は彼の時代、その宗教界の現実に合わせて、これに対する厳しい批判を認めざるを得なかった。経典の言葉は末法時を告げて予言的な真理性を有している。彼は自己の体験を顧みて、この真理性に驚き、かつこの真理性を畏れずにはいられなかったであろう。正直に現実を見るとき、「たとひ末法のなかに持戒のものあらば、すでにこれ怪異なり。市に虎あらんがごとし。これたれか信ずべきや。」といわざるを得ないであろう。
正法五百年は大迦葉らの七賢僧の時代であり、それは小乗教の時代である。