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しんらん
親鸞
三木 清
「展望」1946(昭和21)年1月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 36,550 字 · 73 页
『正像末和讃』の首めには次の讃歌が掲げられてある。
弥陀の本願信ずべし
本願信ずるひとはみな
摂取不捨の利益にて
無上覚をさとるなり
この一首は康元二年二月九日夜、夢告に成るものである、と親鸞はみずから記している。時に彼は八十五歳であったが、夢にこの和讃を感得したことが『正像末和讃』一帖の製作の縁由となったのである。このことは末法の自覚と浄土教の信仰とが彼においていかに密接に結びついていたかを示すものであろう。末法の自覚は罪の自覚であり、罪の自覚は弥陀の本願力による救済の自覚であった。
無明長夜の燈炬なり
智眼くらしとかなしむな
生死大海の船筏なり
罪障おもしとなげかざれ
と彼は讃詠するのである。
末法意識と浄土における未来主義
親鸞は他力教の絶対性をまず、それが釈迦の本懐教「出世の本懐」であることを示すことによって明らかにしようとした。釈迦出世の本意を知れとは親鸞における内面の叫びであった。釈迦如来がこの世に現われたのは、『法華経』の「方便品」の中にいうごとく「一大事因縁」によるのでなければならぬ。かくして『教行信証』教巻において親鸞は、「それ真実の教を顕はさば、すなはち大無量寿経これなり。