轻松读懂日语经典作品
ja-reading.com
轻松读懂日语,轻松阅读日语。在线阅读日语经典作品。支持在阅读过程中显示假名、查询生词、翻译句子。
にんしきろんとしてのぶんげいがく
認識論としての文芸学
戸坂 潤
「唯物論研究 五十一号」1937(昭和12)年1月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 9,350 字 · 19 页
文芸学がまず文芸の認識論でなければならぬというのは、この意味だ。「文学」という言葉もかかる認識論的なカテゴリーとして、初めて理論上の意義を有つものである。
文芸学を文芸論と見る時、第一に問題になるのは、夫と科学に関する認識論との相互の連関だろう。或いは同じことだが、この広範な意味での認識論に於ける、文芸学と科学論との関係だ。或いは同じく、文芸と科学との関係なのである。――従来認識論と云えば、殆んど凡て科学乃至理論に関するものに限定されていた。それは前にも云ったように今日まで実際問題として見ても、科学特に自然科学の認識が最も組織的で単一義的で統一的な発展をして来たので、之が凡そ認識なるものの典型となっているからだ。それに、なぜ又科学特に自然科学がそういう特別に恵まれた条件を持てたかと云うと、全く、自然科学に最も特有である処の、実験と産業との直接関係という、この認識に於けるマテリアリズム乃至リアリズムのおかげなのだ。だが史的唯物論の成立によって、社会科学の認識が初めて自然科学の夫に平行した単一義性と統一性を有つようになった。そこで社会科学についての認識論が積極的に展開出来るようになったと共に、夫と自然科学に関する認識論との間に、一元的な統一が可能になったのである。