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にんしきろんとはなにか
認識論とは何か
戸坂 潤
「認識論」戸坂潤、山岸辰蔵、三笠書房、1937(昭和12)年10月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 58,432 字 · 116 页
特に文化的技能の獲得如何は、文化の唯一のバロメーターとさえ考えられている。文化の向上とか進歩とか云う時、往々にして文化技能の高低だけが問題なのだ。――だが文化技能が意味を有つのは、単にそれの抽象的な高低如何にあるのではなくて、それが認識の能力としての技術技能として、如何に水準が高いかということにあるのだ。文化の価値は認識という目標にあるのであり、思想の教育にあるのである。
この目的を逸脱する時、文化はその高度の文化技能水準を以てしても、頽廃か粉飾に堕する。デカダンスは社会に於ける認識の無能化、思想の行きづまりに発生する徒花であり、その魅惑は、思想の新しい進展と誕生とのため廃土肥料となるのでない限り、文化の自殺に他ならぬ。文化の生命は認識と思想とにある。――認識が時代の生産的実践を蔽い得ない時に、思想が時代の生産技術から疎遠になる時に、その認識と思想とは頽廃の花でしかない。それは文化的ではあっても(実際文化至上主義はそういう時期に発生する)、文化でなく、認識でも思想でもない。こういう思想(?)や認識(?)の頽廃は、風俗や娯楽という文化(?)の内に、最も屡々、そして最も端的に、現われ勝ちだ。