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どくしょへんれき
読書遍歴
三木 清
「文芸」1941(昭和16)年6月~12月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 36,120 字 · 72 页
その頃有島氏は次第に人道主義的社会主義に移りつつあったが、京都の経済科の河上肇博士はもとの伊藤証信氏の無我愛に熱中されたことがあるというが、その頃はまだ人道主義的社会主義を多く出なかったようである。いずれにしてもヒューマニストの関心が社会問題に移っていったのは注目すべきことであった。
第四に、このヒューマニズムの傾向は学究的な人々の間で「教養」という観念から「文化」という観念に変り「文化主義」などという言葉もできた。新カント派の価値哲学、文化哲学がその基礎になったのであって、桑木先生とか左右田先生とかがその代表者であった。その頃「文化住宅」とか「文化村」とかいう、大正時代の一つの象徴である安価な文化主義が、哲学者たちの意図とは別に、流行になっていた。
思想の方面においてはヒューマニズムの流れはさらに別の方向をとって存在していた。新カント派が全盛になる以前、広く流行したオイケン、ベルグソンの「生の哲学」がそれであったと見られるであろう。生の哲学の流れは新カント派が隆盛を極めてからもわが国には根強く存在していたのであって、西田先生の哲学などもそれに属するといい得るであろう。