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だれもしらぬ

誰も知らぬ

太宰 治

「若草」1940(昭和15)年4月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 7,123 字 · 14 页

青空文庫

でも、こんなに遅く私の家にまいりましたことは一度も無いのですし、それに、わざわざ私を、こっそり呼ぶというのは、いよいよ芹川さんのれいの問題が爆発したのにちがいない、とわくわくしてしまって、私のほうから、

「芹川さんは、このごろお見えになりませんのよ。」と何も聞かれぬさきに口走ってしまいました。

「お嬢さん、ご存じだったの?」と兄さんは一瞬けげんな顔をなさいました。

「いいえ。」

「そうですか。あいつ、いなくなったんです。ばかだなあ、文学なんて、ろくな事がない。お嬢さんも、まえから話だけはご存じなんでしょう?」

「ええ、それは、」声が喉にひっからまって困りました。「存じて居ります。」

「逃げて行きました。でも、たいていいどころがわかっているんです。お嬢さんには、あいつ、このごろ、何も言わなかったんですね?」

「ええ、このごろは私にも、とてもよそよそしくしていました。まあ、どうしたのでしょう。おあがりになりません? いろいろお伺いしたいのですけれど。」

「は、ありがとう。そうしても居られないのです。これから、すぐあいつを捜しに行かなければなりません。」見ると、兄さんは、ちゃんと背広を着て、トランクを携帯して居ります。