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どうけやく

道化役

豊島 与志雄

「中央公論」1934(昭和9)年7月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 21,093 字 · 42 页

青空文庫

力のこもったその握手が、以前の村尾と異ったものを島村に伝えた。

「あなたに……逢いたいと思っていたんですが。」

そして村尾はこんどは、何だか恥しそうな微笑をした。感情や言葉がどこか調子があっていないようだった……。

――ところで、これから先の二人の話を跡づける前に、以前の出来事を茲に物語るとしよう。そしてこの物語は可なり曖昧で複雑だから、村尾自身が島村に書き送った手記を骨子とし、筆者の註釈や補足を附して、出来る限り誤りなからんことを期したい。

……私はどうしても信子を愛することが出来なかった。なぜだか、いくら自分に尋ねても分らない。顔立も、教養も、私にとっては過ぎているくらいで、もし彼女と結婚するとしたら、幸福な家庭が営まれる筈だった。殊には、彼女の父と私の母とは従兄妹に当っていたし、家庭のこともよく分っていたので、私はどの女によりも彼女に最も信頼出来る筈だったし、彼女の家は富有で、私自身いろいろ世話になったこともあるので、結婚によって物質的な援助も得られるわけだった。それでも、私は彼女に対して何等の愛情も持つことが出来なかった。その原因としては、私にはつまり分ってることは、ただ一つあるきりだった。