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やすりくず
鑢屑
寺田 寅彦
「週刊朝日」1924(大正13)年7月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 6,364 字 · 13 页
十七
入歯をこしらえた。
何年来食ったことのなかった漬物などを、ばりばり音を立てて食うことが出来る。はなはだ不思議な心持がする。パンの皮や、らっきょうや、サラダや、独活や、そんなものでも、音を立てて食うことに異常な幸福を感じる。
歯のいい人は、おそらく、この卑近な幸福を自覚する僥倖を持たないに相違ない。
この幸福がいつまで持続するか疑問である。たぶん一種の指数曲線か何かに従って、漸近的にゼロに向かって行くだろう。
こんな幸福があまり持続しては、困る事だろう。幸福も不幸福も、変化の瞬間が最高点で、それからあとは、大地震の余震のように消えて行く。
そのおかげで、われわれは、こうやって生きて行かれるのかもしれない。
十八
入歯は、やはり西洋人のこしらえ始めたものだろうと思う。
西洋食を食っている間は、めったに入歯の困難は起らない。ところが、茶漬をかきこんだり、味噌汁を吸ったりすることになると、とかく故障が起りがちである。いわんや、餅や、飴などは論外である。
これは何事を意味するか。
入歯を、発明し、改良して来た西洋人が、もしわれわれと同じ食物を食って生きているのだったら、そうしたら、餅を食っても、飴を食っても、故障の起らないような入歯が、今頃は出来ているのではあるまいか。