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ざつぶんてきざつぶん

雑文的雑文

伊丹 万作

「中央公論」1934(昭和9)年9月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 8,835 字 · 18 页

青空文庫

ところの嗅覚の異常に発達した連中である。

我々は見ない人たちを目標にして、映画を作る自由を持たない。我々の作る映画は要するに始終見てくれる人々に見せるためのものでしかない。

見ない人たちがある日極めて例外的に我々の映画を覗いてみて、何だくだらんじやないかと憤慨しても、それは我々のあえて意に介しないところである。文中おもしろいとかつまらないとかいう語が随所に出てくるはずであるがそれらの語の標準を奈辺においているかは右によつておのずから明らかであろう。

さてどうせ日本のトーキーがおもしろくないことを問題にするからには、ついでのことに、日本の大衆文芸がおもしろくないことも少し問題にしてみたらどんなものかといいたい。

なぜならば日本の映画はそのストーリーの供給の大部分をいわゆる大衆文芸に仰いでいるからである。出る写真も出る写真もほとんど限られた二、三氏の、原作以外に出ないというような退屈な現象は大衆文壇のためたいして名誉にはならない。

いつたい大衆文壇というものにはほとんど批評の存在がないようであるが、これに反して日本の映画界くらい批評の繁昌している国は昔からまたとあるまい。