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おしゃく

雛妓

岡本 かの子

「日本評論」1939(昭和14)年5月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 26,482 字 · 53 页

青空文庫

ついに、

「かの子さーん」

「かの子さーん」

わたくしは嘗て自分の名を他人にして呼んだ経験はない。いま呼んでみて、それは思いの外なつかしいものである。身のうちが竦むような恥かしさと同時に、何だか自分の中に今まで隠れていた本性のようなものが呼出されそうな気強い作用がある。まして、そう呼ばせる相手はわたくしに肖て而かも小娘の若き姿である。

声もかすかに呼びつれ呼び交すうちに、ふとわたくしはあのお雛妓のかの子さんの若さになりかける。ああ、わたくしは父の死によって神経を疲労さしているためであろうか。

葬儀の日には逸作もわたくしと一緒に郷家へ行って呉れた。彼は快く岳父の棺側を護る役の一人を引受け、菅笠を冠り藁草履を穿いて黙々と附いて歩いた。わたくしの眼には彼が、この親の遺憾としたところのものを受け継いで、まさに闘い出そうとする娘に如何に助太刀すべきか、なおも棺輿の中の岳父にその附嘱のささやきを聴きつつ歩む昔風の義人の婿の姿に見えた。

若さと家霊の表現。わたくしがこの言葉を逸作の口から不忍の蓮中庵で解説されたときは、左程のこととも思わなかった。しかし、その後、きょうまでの五日間にこのエスプリのたちまちわたくしの胎内に蔓り育ったことはわれながら愕くべきほどだった。