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おしゃく
雛妓
岡本 かの子
「日本評論」1939(昭和14)年5月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 26,482 字 · 53 页
雛妓ははじめ商売女の得意とも義務ともつかない、しらばくれた態度で姿かたちをわたくしの見検めるままに曝していたが、夏のたそがれ前の斜陽が小学校の板壁に当って、その屈折した光線が、この世のものならずフォーカスされて窓より入り、微妙な明るさに部屋中を充たした頃から、雛妓は何となく夢幻の浸蝕を感じたらしく、態度にもだんだん鯱張った意識を抜いて来て、持って生れた女の便りなさを現して来た。眼はうつろに斜め上方を見ながら謡うような小声で呟き出した。
「奥さまのかの子さーん」
わたくしは不思議とこれを唐突な呼声とも思わず、木霊のように答えた。
「お雛妓さんのかの子さーん」
二三度、呼び交わしたのち、雛妓とわたくしはだんだん声を幽めて行った。
「かの子さーん」
「かの子さーん」
そして、その声がわたくしの嘗て触れられなかった心の一本の線を震わすと、わたくしは思わず雛妓の両手を執った。雛妓も同じこころらしく執られた両手を固く握り返した。手を執り合ったまま、雛妓もわたくしも今は惜しむところなく涙を流した。
「かの子さーん」
「かの子さーん」
涙を拭い終って、息をたっぷり吐いてからわたくしは懐かし気に訊いた。