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しもばしら

霜柱

山本 周五郎

「オール読物」文藝春秋新社、1960(昭和35)年3月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 14,328 字 · 29 页

青空文庫

「おれがこの家のあるじだ」と喜兵衛は呼びかけた、「そのほうはなに者だ」

男は家僕を押し放した。

「あるじだって」と男が云った、「嘘うつけ、これはおれの家だ、これは繁野家の控え屋敷、おれは繁野義十郎だ」

江戸の深川でこういう男と喧嘩をしたことがあった。三年か四年まえ、新大橋の袂のところだったな、と喜兵衛は思った。

「なんの話かわからないが、とにかくあがったらどうだ」と喜兵衛が云った、「仁兵衛とおしてやれ」

「しかし旦那さま」

「心配するな」と喜兵衛は家僕に頷いた、「おれは大丈夫だからとおしてやれ」

そして彼は寝間へ戻り、行燈を持って客間へはいった。男は家の中を知っているようすで、家僕の先になってやって来、床ノ間を背にしてあぐらをかいた。男の躯から汗と垢と、強い酒の匂いとが入り混った、胸の悪くなるような臭さが漂ってき、われ知らず喜兵衛は顔をしかめた。

「おい、酒があるだろう」男は振返って、襖を閉めようとする家僕に云った、「冷でいいからあるだけ持って来い、あるだけ持って来るんだぞ」

「持って来てやれ」と喜兵衛が云った、「肴はいるまい、盃も大きいのがいいだろう」

家僕は去った。