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ふうちそう

風知草

宮本 百合子

「文芸春秋」1946(昭和21)年9~11月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 44,107 字 · 88 页

青空文庫

戦争の中から、妻のところへ生きてかえることの出来た男たちも、何人か、こういう挨拶のしかたをしたことだろう。わきに膝をついて重吉の挨拶を見ていたひろ子は、のどにせきあげて来て、やっときこえるような声で、

「じゃ、また、のちほど、ね」

重吉を立たせた。二つの手を独房の畳の上へは決してつかなかった重吉。そのために、例外のようにひどい判決をうけた重吉。その重吉が、急に世間並のしきたりの中に戻って来て、それをこんなに素直にうけとり、世話になるより、世話になられているという関係の知人にまで真心をもって、不器用に挨拶している。人の一生のうちにざらにある瞬間として感じてすぎることはひろ子にとっては不可能であった。

今、吉岡が、じゃあ拝見しましょうか、と云ったとき、重吉はいきなり背広の上着をぬいでしまった。それも、重吉がただ熱心に診て貰おうと思っていたからのこと。それだけに重吉のいくらかとんちんかんなその動作のこころを解釈するこころもちがしなかった。

吉岡純介は、重吉というよりは寧ろひろ子の親友の一人であった。結核専門で、そのためにひろ子は何度も重吉の体について相談して来た。