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かぜたちぬ

風立ちぬ

堀 辰雄

序曲、風立ちぬ「改造」1936(昭和11)年12月号、冬「文藝春秋」1937(昭和12)年1月号、春「新女苑」1937(昭和12)年4月号、死のかげの谷「新潮」1938(昭和13)年3月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 54,998 字 · 108 页

青空文庫

そこで私は何時間も、明るい、静かな気分で、これから手を着けようとしている物語の構想に耽っていた。ときおり私の足もとの方で、思い出したように、子供等が栗の木をゆすぶって一どきに栗の実を落す、その谿じゅうに響きわたるような大きな音に愕かされながら……

そういう自分のまわりに見聞きされるすべてのものが、私達の生の果実もすでに熟していることを告げ、そしてそれを早く取り入れるようにと自分を促しでもしているかのように感ずるのが、私は好きであった。

ようやく日が傾いて、早くもその谿の村が向うの雑木山の影の中にすっかりはいってしまうのを認めると、私は徐かに立ち上って、山を下り、再び吊橋をわたって、あちらこちらに水車がごとごとと音を立てながら絶えず廻っている狭い村の中を何んということはなしに一まわりした後、八ヶ岳の山麓一帯に拡がっている落葉松林の縁を、もうそろそろ病人がもじもじしながら自分の帰りを待っているだろうと考えながら、心もち足を早めてサナトリウムに戻るのだった。

十月二十三日

明け方近く、私は自分のすぐ身近でしたような気のする異様な物音に驚いて目を覚ました。