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かぜたちぬ
風立ちぬ
堀 辰雄
序曲、風立ちぬ「改造」1936(昭和11)年12月号、冬「文藝春秋」1937(昭和12)年1月号、春「新女苑」1937(昭和12)年4月号、死のかげの谷「新潮」1938(昭和13)年3月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 54,998 字 · 108 页
あたりの山々は、曙の光を浴びながら、薔薇色に赫いている。私は隣りの農家からしぼり立ての山羊の乳を貰って、すっかり凍えそうになりながら戻ってくる。それから自分で煖炉に焚木をくべる。やがてそれがぱちぱちと活溌な音を立てて燃え出し、その音で漸っとその娘が目を覚ます時分には、もう私はかじかんだ手をして、しかし、さも愉しそうに、いま自分達がそうやって暮している山の生活をそっくりそのまま書き取っている……
今朝、私はそういう自分の数年前の夢を思い出し、そんな何処にだってありそうもない版画じみた冬景色を目のあたりに浮べながら、その丸木造りの小屋の中のさまざまな家具の位置を換えたり、それに就いて私自身と相談し合ったりしていた。それから遂にそんな背景はばらばらになり、ぼやけて消えて行きながら、ただ私の目の前には、その夢からそれだけが現実にはみ出しでもしたように、ほんの少しばかり雪の積った山々と、裸になった木立と、冷たい空気とだけが残っていた。……
一人で先きに食事をすませてしまってから、窓ぎわに椅子をずらしてそんな思い出に耽っていた私は、そのとき急に、いまやっと食事を了え、そのままベッドの上に起きながら、なんとなく疲れを帯びたようなぼんやりした目つきで山の方を見つめている節子の方をふり向いて、その髪の毛の少しほつれている