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かぜたちぬ
風立ちぬ
堀 辰雄
序曲、風立ちぬ「改造」1936(昭和11)年12月号、冬「文藝春秋」1937(昭和12)年1月号、春「新女苑」1937(昭和12)年4月号、死のかげの谷「新潮」1938(昭和13)年3月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 54,998 字 · 108 页
そうして目をつぶったまま、自分の裡の何かの作用に一心になろうとしているように見えた。そのうちにその手が少し緩んできた。彼女は寝入ったふりをし出したらしかった。
「さあ、今度はおれの番か……」そんなことを呟きながら、私も彼女と同じように寝られそうもない自分を寝つかせに、自分の真っ暗な部屋の中へはいって行った。
十一月二十六日
この頃、私はよく夜の明けかかる時分に目を覚ます。そんなときは、私は屡々そっと起き上って、病人の寝顔をしげしげと見つめている。ベッドの縁や壜などはだんだん黄ばみかけて来ているのに、彼女の顔だけがいつまでも蒼白い。「可哀そうな奴だなあ」それが私の口癖にでもなったかのように自分でも知らずにそう言っているようなこともある。
けさも明け方近くに目を覚ました私は、長い間そんな病人の寝顔を見つめてから、爪先き立って部屋を抜け出し、サナトリウムの裏の、裸過ぎる位に枯れ切った林の中へはいって行った。もうどの木にも死んだ葉が二つ三つ残って、それが風に抗っているきりだった。私がその空虚な林を出はずれた頃には、八ヶ岳の山頂を離れたばかりの日が、南から西にかけて立ち並んでいる山々の上に低く垂れたまま動こうともしないでいる雲の塊りを、見るまに赤あかと赫かせはじめていた。