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きりん

麒麟

谷崎 潤一郎

「新思潮 第四号」1910(明治43)年12月1日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 9,040 字 · 18 页

青空文庫

其の人々の顔は饑と疲に羸せ衰え、家々の壁は嗟きと愁しみの色を湛えて居た。其の国の麗しい花は、宮殿の妃の眼を喜ばす為めに移し植えられ、肥えたる豕は、妃の舌を培う為めに召し上げられ、のどかな春の日が、灰色のさびれた街を徒に照らした。そうして、都の中央の丘の上には、五彩の虹を繍い出した宮殿が、血に飽いた猛獣の如くに、屍骸のような街を瞰下して居た。其の宮殿の奥で打ち鳴らす鐘の響は、猛獣の嘯くように国の四方へ轟いた。

「由や、お前にはあの鐘の音がどう聞える。」

と、孔子はまた子路に訊ねた。

「あの鐘の音は、天に訴えるような果敢ない先生の調とも違い、天にうち任せたような自由な林類の歌とも違って、天に背いた歓楽を讃える、恐ろしい意味を歌うて居ります。」

「さもあろう。あれは昔衛の襄公が、国中の財と汗とを絞り取って造らせた、林鐘と云うものじゃ。その鐘が鳴る時は、御苑の林から林へ反響して、あのような物凄い音を出す。また暴政に苛まれた人々の呪と涙とが封じられて居て、あのような恐ろしい音を出す。」

と、孔子が教えた。

衛の君の霊公は、国原を見晴るかす霊台の欄に近く、雲母の硬屏、瑪瑙の榻を運ばせて、青雲の衣を纒い、白霓の裳裾を垂れた夫人の南子と、香の高い秬鬯を酌み交わしながら、深い霞の底に眠る野山の春を眺めて居た。