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ちゅうせいのぶんがくでんとう

中世の文学伝統

風巻 景次郎

線上閱讀風巻 景次郎《中世の文学伝統(ちゅうせいのぶんがくでんとう)》,假名注音日語閱讀。JLPT N2,點詞查義。

N2 · 挑戰 · 新字新假名 · 115,977 字 · 230 頁

青空文庫

さて右の事実を一層はっきり印象にとどめるために、定家たちを中心として、ごく客観的に『新古今集』撰定前の歌界のスケッチを作って置こう。

定家は応保二年に生れた。そのとき父俊成は四十九歳、定家には七歳上の兄成家がある。母は美福門院の女房加賀といって、はじめ皇后宮少進藤原為隆の妻であった。為隆は定家出生の足かけ二十年前、康治二年に出家して寂超といい、その次の兄頼業は近衛天皇の蔵人であったが、久寿二年、帝崩御のとき出家して寂然といい、長兄は為業といって、『尊卑分脈』に『栄華物語』の作者とされている人、最もおくれて永万元年頃、定家四歳位のときに出家したらしい。寂念という。これが前にも名を出した有名な大原の三寂で、西行とも親しく、俊成とも交りが深かった。これについては冨倉二郎氏の「大原の三寂」(『多磨』昭和十三年四月以下四回)があって、精しい。その寂超と加賀との間には定家より二十歳ばかり年上の隆信という兄があった。母が俊成に再嫁して定家を生んでからは、定家が寵愛を独占して、隆信は淋しさをまぎらすことができなかったらしい。

定家の生れる前、俊成は弟俊海の子定長を養子していたが、定家が生れてから出家して寂蓮といった。