輕讀日語

輕鬆讀懂日語經典作品

ja-reading.com

輕鬆讀懂日語,輕鬆閱讀日語。線上閱讀日語經典作品。支援在閱讀過程中顯示假名、查詢生詞、翻譯句子。

こくをみる

古句を観る

柴田 宵曲

線上閱讀柴田 宵曲《古句を観る(こくをみる)》,假名注音日語閱讀。JLPT N2,點詞查義。

N2 · 挑戰 · 新字新假名 · 166,028 字 · 333 頁

青空文庫

切支丹の信徒を吟味するため、聖像を踏ませるのである。明治あたりまでの句集には、絵踏を詠んだものがいくらもあるが、その多くは未見の人事に対して空想的興味を鼓するのだから、どうしても考えて拵えたものになりやすい。この場合俳人も講釈師と同じく、見て来たような※(「言+墟のつくり」、第4水準2-88-74)をつくわけである。

この句は絵踏を詠んだものではないけれども、妙な方角から実在的な絵踏に触れている。名主のところにある絵踏帳というのはどんなものか、それは長崎研究者に聞くより外はないが、恐らく絵踏を行う際の人名その他を記したものであろう。悠川が長崎に行った時は、切支丹迫害当時よりは大分年数がたっているので、多少好奇的な眼でこれを見たものではないかと思われる。絵踏帳は今の切支丹研究者に取っても、看過すべからざる材料であろう。

この句を見て思い出すのは、太祇の「魂祭る料理帳あり筆のあと」である。太祇一流のそつのない、複雑な事柄を一句に纏めた手腕は認められるけれども、この句に比べると、どこか工夫の余に成ったらしい点がある。故人の書いた料理帳、それは魂祭のための設であるというので、季題にもなっているのであるが、こういう表現はよほど脳漿を搾らないと出来ない。