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ひろしまというなのゆらい
広島という名の由来
薄田 太郎
線上閱讀薄田 太郎《広島という名の由来(ひろしまというなのゆらい)》,假名注音日語閱讀。JLPT N2,點詞查義。
N2 · 挑戰 · 新字新假名 · 2,344 字 · 5 頁
秀吉としては、山城の吉田を攻めるよりも、平城をつぶす方が手間ひまがかからないと思ったことかも知れない。もっとも、大阪城をみた輝元が、淀川デルタにできた城下町をみて、郡山城が山中にあって、物産の出入り口である草津港と五十キロ余りもはなれている不便を考え、将来をおもんばかっての五箇荘出向を決めたと考えても当然である。
いよいよ、天正十七年二月二十日(一五八九年)、輝元は部下に床几一つを持たせて早朝に出発、途中北の庄(現在安佐郡安古市町)の福島大和守の館に一泊、その翌日、矢賀村の明星院山(現在の二葉山)にまず床几をすえた。ついで、牛田の新山(現在の見立山)、そして己斐の松山に床几を回して、はるかに葦野原の五箇荘をすみからすみまでテイサツし、ようやく箱島の南の島、いまの広島城跡に本城を築く決心をしたワケである。
これらの山々から五箇荘を見た輝元の目には、はるか沖合いに白いカモメがとび、小さな漁船が一、二そう浮んで、仁保島などがはるかにかすんで見えたことであろう。
同年四月十五日、築城のクワ入れが行なわれ、輝元の叔父にあたる二宮就辰、穂田元清が普請奉行となって工事が始まり、町人頭の平田屋惣右衛門も召し出されて、城下町建設に一役かった。