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おうぎの

扇野

山本 周五郎

線上閱讀山本 周五郎《扇野(おうぎの)》,假名注音日語閱讀。JLPT N2,點詞查義。

N2 · 挑戰 · 新字新假名 · 33,727 字 · 67 頁

青空文庫

それでもなお一刻ばかり、絵の前に坐ってにらんでいたが、おけいが三度目に夕餉を聞きに来たとき、ようやく振返って頷いた。

「飯は欲しくありません」と彼は云った、「勝手なことを云って恐縮ですが、肴はなにもいりませんから酒を飲まして下さい」

「あのう」とおけいが云った、「あちらに心祝いの支度がしてあるからって、父さんが云っているんですけれど」

「いやこちらで頂きます」彼はおけいを見て云った、「わけは云えないが、私はもう誰にも会いたくない、貴女の御両親にもです、このままそっと逃げだしてゆきたいんです」

「ええわかります」とおけいは頷いた、「おけいにはよくわかりますわ」

「――貴女にわかるって」

「わたし勘がいいのよ」とおけいは謎めいた微笑をして栄三郎を見た、「ではこちらへ持って来ますわ、お別れにお酌をさせて頂きますわね」

そして立って出ていった。

やや時間をとってから、おけいが小間使と二人で、酒肴の膳を運んで来た。時間をとったのは化粧を直したためらしい、白粉も紅も濃く、香料がかなり強く匂った。

「おめでとうございました」

おけいはまずこう云って、神妙におじぎをした。むろん絵の完成を祝ったのであろう、膳の上にも祝いの肴が並んでいるし、酒も燗徳利ではなく銚子であった。