輕讀日語

輕鬆讀懂日語經典作品

ja-reading.com

輕鬆讀懂日語,輕鬆閱讀日語。線上閱讀日語經典作品。支援在閱讀過程中顯示假名、查詢生詞、翻譯句子。

あねがわのかっせん

日本合戦譚

菊池 寛

線上閱讀菊池 寛《日本合戦譚(あねがわのかっせん)》,假名注音日語閱讀。JLPT N2,點詞查義。

N2 · 挑戰 · 新字新假名 · 154,771 字 · 313 頁

青空文庫

てあり、城堅固に持ちたまえ、三日の裡運を開かせ給うべし」と叫んで、礫にせられたのは、有名な話であるから略する。

五月十八日、信長家康両旗の援軍三万八千、長篠の西方設楽の高原に、山野に充ちて到来した。

しかし、此の時の武田の軍容は、信玄死後と雖も、落ちていたのではない。信玄が死んでいる事さえ半信半疑で、戦前稲葉一徹が家康に向い、万一信玄が生きていて、不意に打って出たら、どうするかと云い出して、信長に叱られた位である。

とにかく、武田の武名は、迷信的に恐がられていたのである。信長の出発に際して之を危んだ旗下の諸将多く、家康も必勝を期せず、子信康を岡崎に還らしめんとした位である。

織田徳川の軍勢、設楽の高原に着くや、信長(此時四十二歳)自らは柴田勝家を従えて、設楽村極楽寺山に本陣を据えた。嫡男信忠(年十九)は河尻秀隆を従えて、矢部村勅養寺附近の天神山に、次男北畠信雄は稲葉一徹属して御堂山に、夫々陣を布いた。更に川上村茶臼山には、佐久間右衛門尉信盛、池田庄三郎信輝、滝川左近将監一益、丹羽長秀なんぞの勇将が控え、以上四陣地の東方には、蒲生忠三郎氏郷、森庄蔵長可、木下藤吉郎秀吉、明智十兵衛光秀等が陣した。