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つづみくらべ
鼓くらべ
山本 周五郎
線上閱讀山本 周五郎《鼓くらべ(つづみくらべ)》,假名注音日語閱讀。JLPT N2,點詞查義。
N2 · 挑戰 · 新字新假名 · 8,577 字 · 18 頁
その時である、お留伊の脳裡にあの旅絵師の姿がうかびあがって来た、殊に、いつもふところから出したことのない左の腕が! ――あの人は観世市之亟さまだった。
お留伊は愕然として、夢から醒めたように思った。
老人は、市之亟が鼓くらべに勝ったあとで自分の腕を折り、それも鼓を持つ方の腕を、自ら折って行衛をくらましたと云ったではないか。……いつもふところへ隠している腕が、それだ。――市之亟さまだ、それに違いない。
そう思うあとから、眼のまえに老人の顔があざやかな幻となって描きだされた、それからあの温雅な声が、耳許ではっきり斯う囁くのを聞いた。……音楽はもっと美しいものでございます。お留伊は振返った。そして其処に、お宇多の懸命な顔をみつけた。眸のうわずった、すでに血の気を喪った唇を片方へひき歪めている顔を。
――音楽はもっと美しいものでございます、またと優劣を争うことなどおやめなさいまし、音楽は人の世で最も美しいものでございます。老人の声が再び耳によみがえって来た。……お留伊の右手がはたと止った。
お宇多の鼓だけが鳴り続けた。お留伊はその音色と、意外な出来事に驚いている客たちの動揺を聴きながら、鼓をおろしてじっと眼をつむった。