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ちゅうせいのぶんがくでんとう

中世の文学伝統

風巻 景次郎

線上閱讀風巻 景次郎《中世の文学伝統(ちゅうせいのぶんがくでんとう)》,假名注音日語閱讀。JLPT N2,點詞查義。

N2 · 挑戰 · 新字新假名 · 115,977 字 · 230 頁

青空文庫

こうした中で、『続後拾遺集』から二十一年目、正平元年(貞和二年)十一月九日に、光厳院御自撰で成ったのが『風雅和歌集』であった。

その後花園院も崩御になって、二条派系の者には、為世の孫たちのほかに、頓阿・浄弁・慶運・兼好など四天王などいわれたような門弟もあって、数で行けばやはり歌界の大勢を動かすのは二条流であった。そこで後光厳院の延文元年(正平十一年)に、足利尊氏が奏請したので、天皇は撰集の勅命を二条為定に下され、延文四年(正平十四年)四月二十八日奏覧を終えた。これが『新千載和歌集』である。

『新千載集』の後数年たらずして、後光厳院の貞治二年(正平十八年)に足利義詮の奏請で、撰集の勅命が二条為明に下ったが、翌三年十月二十七日、撰定を終えないで歿したため、その後を為世の高足頓阿法師が承け継いで、十二月完成した。これが『新拾遺和歌集』である。

それからまた二十年あまり経て、『新後拾遺集』が成った。永和元年(天授元年)六月後円融院が二条為遠に撰集の勅命を下され、八月以後それに従事したが、六年後の永徳元年(弘和元年)八月二十七日為遠は五十歳で世を去ったので、十一月になって為重が仰せる蒙り、永徳三年(弘和三年)に一応完成した。