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おうぎの

扇野

山本 周五郎

線上閱讀山本 周五郎《扇野(おうぎの)》,假名注音日語閱讀。JLPT N2,點詞查義。

N2 · 挑戰 · 新字新假名 · 33,727 字 · 67 頁

青空文庫

午ちょっとまえから風が吹きだして、そう強くはないが、街の中は埃立っていた。切通しの辻地蔵のところで待ちあわせ、登り口まではべつべつに歩いた。――まえに来たのは暑いさかりだったが、九月といえば晩秋のことで、木々の葉も草も枯れかかり、北から吹きつける風に揺れながら、乾いた音をたてていた。おつるはいつもの活溌な歩きぶりで、栄三郎におくれず元気に登った。

二人は夏来たときの、想い出の場所を歩いた。おつるは絶えず爽やかな微笑をうかべ、栄三郎の髪が(風のために)乱れると、櫛を出して撫でつけたりした。

「此処だったわね」おつるが扇子を落した処で立停った、「この薄のこっちの処だったわ、なつかしいわね」

「いまでも、あのときの姿が眼に見えるよ」

「いろいろな思い出ができたわ」

おつるの声は咏嘆のようであった。栄三郎は彼女の姿を眺めた。おつるは小さな眼で心をかよわせるように彼を見、唇をいっぱいにあけて笑顔をつくりながら、彼のほうへ両手を伸ばした。栄三郎はその手を握った。

「夏になれば、海へいって夜光虫を見るわ」とおつるは笑顔のまま云った、「秋になったら此処へ来ればいいわね、――あなたが江戸へお帰りになってから、あなたが恋しくなったらそうするの、ね、あたしあなたがいらっしゃらなくなっても大丈夫よ」