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やのしのとい

矢押の樋

山本 周五郎

線上閱讀山本 周五郎《矢押の樋(やのしのとい)》,假名注音日語閱讀。JLPT N2,點詞查義。

N2 · 挑戰 · 新字新假名 · 14,468 字 · 29 頁

青空文庫

……幸兵衛は次の部屋へ入ったが、直ぐに娘の加世を伴って現われた。娘はよろめくような足取で縁先へ出ると、……盆の上に載せた琥珀の杯を、静かに梶之助の方へ押進めた。

「手作りの杏子の酒でございます」

「……忝ない」

梶之助は手を伸ばして杯を取った。

娘は思詰めたように、睫毛の長いつぶらな眸をあげて、男の顔を見た。梶之助もその眸を見返した。……二人は今日まで、満足には言葉も交わしたことがない。娘に執心で通っているという世評とは凡そ逆に、梶之助は出来るだけ加世の心を無視して来た。けれどそうする気持の底には、制することの苦しい愛情が育っていたのだ。

――いつかは。

いつかは娘を妻と呼ぶ日が来るだろう、そして別にそれは困難なことではないと思っていた、然し、今はもうそれも夢である。

――赦せ、悪いめぐりあわせだった。

梶之助はそう呟きながら、杯を呷って、もういちど娘の眸をひたと覓めた。

「美味かった、加世どの。……杏子の酒は初めてです、梶之助は生れて初めて、杏子の酒を口にしました。若しまたこれが欲しくなったら、必ず貴女の手作りを馳走になります」

「……冥加でござります」