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しゅみのいでん

趣味の遺伝

夏目 漱石

線上閱讀夏目 漱石《趣味の遺伝(しゅみのいでん)》,假名注音日語閱讀。JLPT N2,點詞查義。

N2 · 挑戰 · 新字新假名 · 38,235 字 · 77 頁

青空文庫

それをから車を引いて通り掛った車夫が拾って笑いながらえへへと差し出した事を記憶している。こんどはその手は喰わぬ。これなら大丈夫と帽子を確と抑えながら爪先で敷石を弾く心持で暗に姿勢を整える。人後に落ちた仕合せには邪魔になるほど近くに人もおらぬ。しばし衰えた、歓声は盛り返す潮の岩に砕けたようにあたり一面に湧き上がる。ここだと思い切って、両足が胴のなかに飛び込みはしまいかと疑うほど脚力をふるって跳ね上った。

幌を開いたランドウが横向に凱旋門を通り抜けようとする中に――いた――いた。例の黒い顔が湧き返る声に囲まれて過去の紀念のごとく華やかなる群衆の中に点じ出されていた。将軍を迎えた儀仗兵の馬が万歳の声に驚ろいて前足を高くあげて人込の中にそれようとするのが見えた。将軍の馬車の上に紫の旗が一流れ颯となびくのが見えた。新橋へ曲る角の三階の宿屋の窓から藤鼠の着物をきた女が白いハンケチを振るのが見えた。

見えたと思うより早く余が足はまた停車場の床の上に着いた。すべてが一瞬間の作用である。ぱっと射る稲妻の飽くまで明るく物を照らした後が常よりは暗く見えるように余は茫然として地に下りた。