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いしがおごる

いしが奢る

山本 周五郎

線上閱讀山本 周五郎《いしが奢る(いしがおごる)》,假名注音日語閱讀。JLPT N2,點詞查義。

N2 · 挑戰 · 新字新假名 · 22,304 字 · 45 頁

青空文庫

保馬は知らない顔をしていた。

「それではもう」といしが云った、「江戸へお帰りになりますのね」

「――どうして」

「だって、御縁談のほうがそんななら」

「それだけではない、かもしれないじゃないか」

いしと二人の手代の顔に、(それぞれの)すばやい表情の動くのがみえた。保馬は乾いた声で笑った。

「たとえばおいしを口説きおとす、というような野心がさ」と彼は意地の悪い口ぶりで云った、「せっかく江戸から来たのに、手ぶらで帰るのはまのぬけたはなしだ、おいしはうんと云わないかね」

「此処にも女がおりますのよ」並んでいる仲居たちがやかましく声をあげた、「なにもおいしさんに限らなくったって、たまにはわたしたちを口説いて下すっても罰は当りませんわ」

「罰が当らないだけか、つまらない」

「悪いお口になったこと」いつもいしのそばにいるお春が云った、「初めはあんなにお人柄だったのにすっかり悪くおなりなすったわ、ぶってあげようかしら」

「罰は当らない筈じゃないか」

華やいだ罵り声のなかで保馬はにがにがしく顔を歪めた。

いしに惹かれる気持は強くなるばかりであった。いしが外島に云い含められて彼に近づいている、という事実も頭から去らないが、いっしょに水へ落ちたときからの二人の心のあゆみよりには、そんなことのはいる隙のない、しぜんなものがあるように思えた。