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ちゅうせいのぶんがくでんとう
中世の文学伝統
風巻 景次郎
線上閱讀風巻 景次郎《中世の文学伝統(ちゅうせいのぶんがくでんとう)》,假名注音日語閱讀。JLPT N2,點詞查義。
N2 · 挑戰 · 新字新假名 · 115,977 字 · 230 頁
定家にとっての幸は、建久九年後鳥羽天皇御譲位の後にはじめて廻ってきたことである。しかし、これは一人定家にとどまらず、多くの歌人にとってそうであった。御譲位になると、院は正治二年に早くもときの歌人たちから百首をお召しになった。そのとき定家らが選に入らなかったのは、季経らが内大臣通親を動かしたためだといって騒ぎ出し、左大臣良経に訴えたりして揉めたが、漸く内大臣の沙汰によって情勢一転し、定家・家隆・隆房らが追加された。このときの作者は院をも合せて二十三人、定家は間もなく昇殿を許され、正四位下に叙された。百首を叡感あったためであった。翌建仁元年四十歳のとき、『千五百番歌合』のための百首を献じて、殊に宜しき由の御気色を賜わった。間もなく和歌所が設置されて寄人に加えられた。翌四十一歳で十四年ぶりに左近中将に昇進した。後鳥羽院の下にあっては、六条季経の工作も成功することはできなかった。院の鑑賞力が、最高の決定者として発動したからである。
この定家の略歴に見てもわかるように、後鳥羽院が御譲位になると、急に和歌についての中心が生れるのであって、新古今時代の歌人を糾合されたのは、全く院のお力であることが判るのである。