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ぜんのけんきゅう

善の研究

西田 幾多郎

線上閱讀西田 幾多郎《善の研究(ぜんのけんきゅう)》,假名注音日語閱讀。JLPT N2,點詞查義。

N2 · 挑戰 · 新字新假名 · 123,777 字 · 243 頁

青空文庫

我々はいつでも個人的要求を中心として考えるから、知識において所動的であるように感ぜられるのであるが、若しこの意識的中心を変じてこれをいわゆる理性的要求に置くならば、我々は知識においても能動的となるのである。スピノーザのいったように知は力である。我々は常に過去の運動表象の喚起に由りて自由に身体を動かし得ると信じている。しかし我々の身体も物体である、この点より見ては他の物体と変りはない。視覚にて外物の変化を知るのも、筋覚にて自己の身体の運動を感ずるのも同一である、外界といえば両者共に外界である。しかるに何故に他物とは違って、自己の身体だけは自己が自由に支配することができると考え得るのであろうか。我々は普通に運動表象をば、一方において我々の心像であると共に一方において外界の運動を起す原因となると考えているが、純粋経験の立脚地より見れば、運動表象に由りて身体の運動を起すというも、或予期的運動表象に直に運動感覚を伴うというにすぎない、この点においては凡て予期せられた外界の変化が実現せられるのと同一である。実際、原始的意識の状態では自己の身体の運動と外物の運動とは同一であったであろうと思う、ただ経験の進むにつれてこの二者が分化したのである。