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じょせいのれきしのななじゅうよねん
女性の歴史の七十四年
宮本 百合子
線上閱讀宮本 百合子《女性の歴史の七十四年(じょせいのれきしのななじゅうよねん)》,假名注音日語閱讀。JLPT N2,點詞查義。
N2 · 挑戰 · 新字新假名 · 8,551 字 · 17 頁
彼女は明治三十四年に女子の工芸学校を創立したりして、婦人の向上の社会的足場を技術の面から高めて行こうとする努力をも試みたのであったが、その業績は顕著ならずして、時代の波濤の間に没している。
明治二十年以後の反動期に入ると、近代国家として日本の社会の一定の方向が確定したとともに、婦人に求めてゆく向上の社会的方向もほぼ固定しはじめた。当時日進月歩であった新日本の足どりにおくれて手足まといとならない範囲に開化して、しかも過去の自由民権時代の女流のように男女平等論などを論ぜず内助の功をあげることを終生のよろこびとする、そのような女を、明治の日本は理想の娘、妻、母として描き出したのであった。三十二年の高等女学校令は、四十二年後の今日に迄つづいていて、その精神は、古くもないが決して新しすぎもしない若い女の産出をめざしているのである。
六十六歳の福沢諭吉が、日清戦争の勝利の後の日本が、一応進歩的傾向での安定を見出したこの三十二年に「新女大学」を発表したということは、なかなか複雑な社会史的ニュアンスがこもっていると思う。
大体福沢諭吉が益軒の「女大学」を読んで、それに疑義を抱き、手控えをこしらえはじめたのは彼の二十五歳の年、大阪から江戸へ出た時代の事である。