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ひろしまというなのゆらい
広島という名の由来
薄田 太郎
線上閱讀薄田 太郎《広島という名の由来(ひろしまというなのゆらい)》,假名注音日語閱讀。JLPT N2,點詞查義。
N2 · 挑戰 · 新字新假名 · 2,344 字 · 5 頁
そして、薬研堀とか大須賀町、さては西地方町、天満町あたりにあったもち屋には、半紙三枚くらいをつなぎ合わせた即製の「川通りもち」の旗が店先につり下げられたものである。
「川通りもち」を入れたもろぶたを肩にしたあのころの姿がなつかしい。とくに花街を流していく売り声には、広島ならではの季節感があった。
この「川通りもち」の由来は、「芸藩通志」「芸備今昔話」「陰徳太平記」にそれぞれ書いてあるが、あらましはつぎのとおりである。
観応元年(一三五〇年)、石見国佐波善四郎を討つために発した毛利備中守師親が江の川を渡っているとき、一つの石が川の中から浮かび上って馬のあぶみにかかった。師親は相模国毛利庄の宮崎八幡宮を信仰していたので、「さだめし八幡宮の奇瑞ならんと石をふところに入れ、江の川を一番乗りに打ち渡り」抜群の軍功をたてて安芸国吉田庄に三千貫の知行をえた。
喜んだ師親は、この霊石の表に「八幡宮」、裏に「午頭天王」と自筆して、相模宮崎八幡に奉納した。安芸国吉田庄一帯ではこの戦勝を祝って石をもちにたとえて「川通りもち」をつくる風がおこり、毛利輝元が広島城に移るとき、この風習も広島に持ち込まれて、水難除けとして家々に配ることが行なわれたという。