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こはんていじけん

湖畔亭事件

江戸川 乱歩

線上閱讀江戸川 乱歩《湖畔亭事件(こはんていじけん)》,假名注音日語閱讀。JLPT N2,點詞查義。

N2 · 挑戰 · 新字新假名 · 69,335 字 · 137 頁

青空文庫

八

その男の手の甲に、斜かけに、傷痕らしい黒い筋のあったのが、いつまでも、いつまでも、私の目に残っていました。

八

暫くは、私は、鏡の中の血腥い影絵を現実の出来事と思わず、私の病的な錯覚か、それとも、覗きからくりの空事をでも見た様に、ボンヤリとそのまま寝ころんでいたことです。しかし考えて見れば、いかに衰えた私の頭でも、まさかああまでハッキリと幻を見よう道理がありません。これはきっと、人殺しではなくても、何かそれに似通った、恐しい事件が起ったものに相違ないのです。

私は耳をすまして、今にも下の廊下に、ただならぬ跫音や、騒がしい人声が、聞え初めはしないかと待ち構えました。その間、私は何の気もなく腕の時計を見ていたのですが、その針は丁度十時三十五分近くをさしていました。

ところが、待っても待っても、何の変った物音も聞えては来ません。隣室の馬鹿騒ぎも、何故かふと鳴りをひそめていましたので、一刹那、家中がシーンと鎮まり返って、私の腕時計のチクタクばかりが、いやに大きく響くのでした。私は幻を追いでもする様に、もう一度鏡の中を見つめました。無論そこには、脱衣場の冷い大姿見が、附近の壁や棚などを写して、白々と鈍い光を放っているばかりです。