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ぼくとうきだん

濹東綺譚

永井 荷風

線上閱讀永井 荷風《濹東綺譚(ぼくとうきだん)》,假名注音日語閱讀。JLPT N2,點詞查義。

N2 · 挑戰 · 新字新假名 · 57,666 字 · 114 頁

青空文庫

である。

二階にはまだ客があると見えて、カーテンに灯影が映り、下の窓はあけたままであった。表のラディオも今しがた歇んだようなので、わたくしは縁日の植木鉢をそっと窓から中に入れて、其夜はそのまま白髯橋の方へ歩みを運んだ。後の方から浅草行の京成バスが走って来たが、わたくしは停留場のある処をよく知らないので、それを求めながら歩きつづけると、幾程もなく行先に橋の燈火のきらめくのを見た。

*        *        *

わたくしはこの夏のはじめに稿を起した小説「失踪」の一篇を今日に至るまでまだ書き上げずにいるのである。今夜お雪が「三月になるわねえ。」と言ったことから思合せると、起稿の日はそれよりも猶以前であった。草稿の末節は種田順平が貸間の暑さに或夜同宿の女給すみ子を連れ、白髯橋の上で涼みながら、行末の事を語り合うところで終っているので、わたくしは堤を曲らず、まっすぐに橋をわたって欄干に身を倚せて見た。

最初「失踪」の布局を定める時、わたくしはその年二十四になる女給すみ子と、其年五十一になる種田の二人が手軽く情交を結ぶことにしたのであるが、筆を進めるにつれて、何やら不自然であるような気がし出したため、折からの炎暑と共に、それなり中休みをしていたのである。