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じゅうきちひょうりゅうきぶん
重吉漂流紀聞
久生 十蘭
線上閱讀久生 十蘭《重吉漂流紀聞(じゅうきちひょうりゅうきぶん)》,假名注音日語閱讀。JLPT N2,點詞查義。
N2 · 挑戰 · 新字新假名 · 26,456 字 · 52 頁
伊豆の子浦に寄り、十一月四日の夜、遠州の御前崎の沖あたりまで行くと、海面がにわかに光りを増し、海全体が大きな手で持ちあげられるように立ちあがったと思う間に、丑寅の強風が滝のような雨とともに火花を散らして吹きつけてきた。そのはげしさ目覚しさは、後にも先にもおぼえのないほどで、楫場にいた藤介が楫を離して藁屑のように吹き飛ばされてくる、十五になる飯炊の房次郎が炊桶を抱えたままキリキリ舞いをするというはなはだしさ。船中、総出になって「帆をおろせ」「楫を立てろ」と騒いでいるうちに、ひときわ高い返り波が潮しぶきを吹いてうちあげ、舷の垣根にいた綱取の要吉が、あッと言う間にさらいとられてしまった。
海に人が落ちたときは、箱でも板でも、その場にありあうものを投げこんで取りつかせて、船を戻してひきあげるのだが、探してもわからないときは、端舟を一隻捨てる風習になっている。そうなっては端舟も捨てたところで無駄なのだけれども、そうしておけば後で死んだものの親兄弟に言訳が立つ。しかしその時は墨を流したような闇夜のことではあり、船は疾風に乗って空を飛ぶかという異変の最中で、手の施しようなどとてもありようはなかった。