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いんじゅう

陰獣

江戸川 乱歩

線上閱讀江戸川 乱歩《陰獣(いんじゅう)》,假名注音日語閱讀。JLPT N2,點詞查義。

N2 · 挑戰 · 新字新假名 · 66,968 字 · 131 頁

青空文庫

私は自動車が動き出しても、今別れた静子のことで頭が一杯になっていた。熱くなった私の唇には、まだ彼女の唇が感じられ、皷動する私の胸には、まだ彼女の体温が残っている様に思われた。そして、私の心には、飛び立つばかりの嬉しさと、深い自責の念とが、複雑な織模様みたいに交錯していた。車が、どこをどう走っているのだか、表の景色などは、まるで目に入らなかった。

だが、不思議なことは、そんな際にも拘らず、先程から、ある一つの小さな物体が、異様に私の眼の底に焼きついていた。私は車にゆられながら、静子の事ばかり考えて、ごく近くの前方をじっと見つめていたのだが、丁度その視線の中心に、私の注意を惹かないでは置かぬ様な、ある物体が、チロチロと動いていた。初めは無関心にただ眺めていたのだけれど、段々その方へ神経が働いて行った。

「なぜかな。なぜ俺はこれをこんなに眺めているのかな」

ボンヤリとそんな事を考えている内に、やがて事の次第が分って来た。私は偶然にしては余りに偶然な、二つの品物の一致をいぶかしがっていたのだった。

私の前には、古びた紺の春外套を着込んだ、大男の運転手が、猫背になって前方を見つめながら運転していた。