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なるとひちょう

鳴門秘帖(三)

吉川 英治

線上閱讀吉川 英治《鳴門秘帖(三)(なるとひちょう)》,假名注音日語閱讀。JLPT N2,點詞查義。

N2 · 挑戰 · 新字新假名 · 261,216 字 · 521 頁

青空文庫

と、道々もふりかえっては、お千絵のために安全な地を探した。

ひとつの山蔭を廻った時である。

仰むいてみた崖の上を、幾人もの足が土をくずして駆けたかと思うと山蔭にすがって、ばらばらと目の前へ辷り降りてきた役人らしい者があった。

寝耳に水といおうか。

菅笠、割羽織を着けたひとり、岩のごとく道を塞いで立つかと思うと、威圧のこもった音声で、

「見返りお綱、御用だッ――」

と、なんたる不意! 眼に痛いような磨きすました十手を向けた。

「あっ……」と、お綱は真っ青になった。

「浅草孔雀長屋の女スリ見返りお綱、旧悪の兇状はのこらずお上のお調べずみとなって、人相書は上方へも廻ったぞ。わしは、召捕りのために向った江戸与力中西弥惣兵衛じゃ。いずれにしてものがれぬ場合、お手数をわずらわさずに、江戸奉行の手当をちょうだいして神妙に縛につけッ!」

この時ほど、お綱の気の弱々しく、そして総身のすくんだことはなかった。

旧悪! まったくお綱の記憶は自分の過去のそれを忘れていた。ことに今この場合、突然、女スリと呼びかけられた刹那の驚きは、胸のわるいめまいと、浅ましい嘆きだった。

よろめきそうな足を、一心にふみしめていたかの女は、やがて、喉に乾びつくような声を捕手へ投げた。