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ふえふきがわのじょうりゅう(ひがしさわとにしさわ)

山の憶い出 上

木暮 理太郎

Read 山の憶い出 上 (ふえふきがわのじょうりゅう(ひがしさわとにしさわ)) by 木暮 理太郎 (こぐれりたろう) in Japanese with furigana. JLPT N2. Tap a word for the meaning.

N2 · advanced · modern kanji and kana · 284,014 characters · 565 screens

Aozora Bunko

恐らくこれは此山の見慣れない方面に初めて接した私の神経が、例えば血管内に或物質を注射すると、血液は直に之と対抗す可き特殊の物質を生じて、自己を防衛するのと同じように、山の威圧に対して反抗的に起った神経細胞の動揺であったのであろう。而も希臘彫刻の傑作に見るが如き貴き素朴と沈静なる偉大とを兼ね備えた山の前には、私の神経細胞の中に生じつつあった少量の醗酵素は、自己を危くするまでに毒素を分泌するに至らずして、旭に消ゆる霜の如くに溶け去るのを覚えた。此時私は山に登りたいと努力精進する人のみが――山岳宗徒のみが享受することの出来る或神来の力があって、強い心臓の鼓動と共に全身に漲り溢れるのを感じた。そして一瞬時の後には、それが渾身を傾けて山を懐しむ情と変って行く。私は若し自分が画家であったならば之を描きたい、詩人であったならば之を歌いたいと思った。然し画家でも詩人でもない私は、自己の能わざる所を他人が成し遂げて呉れた彼の尊い芸術に依りてのみ、此欲求を満足させるより外に代う可き者はないのであろうか、いや有る、唯一つ有る、絶えず山に登ることがそれだ。

荷物を草原に抛り出したまま、ぼんやりと其処らを見廻している中、真先に南日君の汗ばんだ顔が現れて、間もなく皆が登って来た。