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しほんたいへいき
私本太平記
吉川 英治
Read 私本太平記 (しほんたいへいき) by 吉川 英治 (よしかわえいじ) in Japanese with furigana. JLPT N2. Tap a word for the meaning.
N2 · advanced · modern kanji and kana · 126,598 characters · 254 screens
「久子、久子っ」
正成は廊へ出て、妻をよんだ。また、爺の左近をも呼びたてて、俄に、外出の支度を命じ出した。
しきりな稲妻が、厩の馬までを、噪がせている。
侍長屋でも、雷鳴の下に、
「何事か」
と、わけも分らず、物音をたて出した。恩智左近から、身支度して、すぐ広前に集まれ、と布令が出たからだ。
身支度とは、腹巻して出よとの意味だ。何か非常なことでなければならない。
広場には、正成以下、家職や小侍まで、みな出ていた。正成は一同が揃ったのをみると、
「ありがたいことではある」
ごろごろ鳴りハタめく真夜半ぢかい空を仰いで、
「……雨が来る!」
と、いった。
感慨のこもったこの一語は、説明なしに、小者たちの胸にまで、彼とおなじ程度の歓喜と大きな安堵を揺りうごかした。
が、なおまだ、
「降るかな?」
と、懐疑もするらしい顔が、天を仰いだ。
毎夜の星がいッぱい見えた。が、一方の空は、灰色の膜に星も消されて、金剛山からソヨめく冷たい雨気に、いつになく、身ぢかな草木が急に表情をかえていた。
「この雨気、久しぶりの雨を地に恵もうぞ。正成はこれより建水分の神前に、さっそく、お礼をのべに参る。