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しほんたいへいき

私本太平記

吉川 英治

Read 私本太平記 (しほんたいへいき) by 吉川 英治 (よしかわえいじ) in Japanese with furigana. JLPT N2. Tap a word for the meaning.

N2 · advanced · modern kanji and kana · 126,598 characters · 254 screens

Aozora Bunko

石の降る夜

石の降る夜

古市の朝は、舟の櫓音やら車の音で明けはじめる。

ほどなく、散所民のわめき声だの、赤子の泣き声。そして、市の騒音も陽と共に高くなり、やがて型どおりな毎日の生態と砂塵が附近一帯をたち籠めてくる。

「まだ帰らぬの」

「……帰りませんなあ」

出屋敷の板かべの一間から、日野俊基は、外ばかり見ていた。――夜来、侍いていた石川ノ豊麻呂も、まんじりもしなかった瞼である。

「たかの知れた放免一人、あの二人が、討ち損じるはずはないと思われますが」

豊麻呂には、自責もあった。

俊基の身をここへ隠し、つき纒う八荒坊は、高野街道へおびき出して、頼春と菊王の手で打ち果させるという計は、そもそも、自分が妙策と信じていい出したことなのだ。

「ご窮屈でも、弁ノ殿には、しばし、ここにてお待ち下さいませぬか」

「お身はどこへ?」

「万一のため、部下に命じて、高野街道を中心に、手分けさせておりますが、それらの者も、なぜか、まだ一人とて立ち帰って来ません。自身、石川まで行って、吉左右のほど、確かめてまいりまする」

豊麻呂は出て行った。

いや、そんな悠長さではなく、飛ぶがごとく駈けてゆく背は、いかにも自責のつよい若者の純情ぶりを思わせる。