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しほんたいへいき
私本太平記
吉川 英治
Read 私本太平記 (しほんたいへいき) by 吉川 英治 (よしかわえいじ) in Japanese with furigana. JLPT N2. Tap a word for the meaning.
N2 · advanced · modern kanji and kana · 126,598 characters · 254 screens
……え、品の納入先はどこかって。そいつは、いえない。熊野牛王の誓文にかけて、これだよ」
と、口へふたをして見せて、禿鳶は笑った。そして、なお、長屋の隣から隣へも、その調子で触れ歩いた後、やがてどこかへ出かけてしまった。
「大景気が来るとさ」
「諸職の手間賃も上がるのか」
長屋は他愛なくはしゃぎ立った。
だが、旅先の柳斎は、半月すぎても帰って来ない。どうしたのやら、便りもなかった。
そうした中の、ある日の夕。
「お内儀さあ。ちょっくら、顔をかしてくんなされ」
店の婆やが頼みに来た。
「……また、お客さまで」
と、当惑顔にいうのである。まいどの商用客ではない。
以前にも見えたことのある母子で、母は三十すぎのきれいな尼前、子は十七、八歳の琵琶法師で、柳斎旦那とは、よほどお親しい関係らしく、いちどは泊って行ったこともある、という。
「それはまあ、あいにくな折に」
卯木は、わが家の夕支度を、あと廻しに、ともかくも、母屋の店の間へ行ってみた。
「婆やさん、ここへも、お灯りを」
「へ。ただいま」
それから、卯木は主に代って、母子の客へ、詫びやら、ねぎらいを頻りにいった。
「ほんに、せっかくでございましたが、折あしく、柳斎さまは、もう半月余りもお旅先で……、が、どうぞ、おあるじはいずとも、おくつろぎ下さいませ」