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ふえふきがわのじょうりゅう(ひがしさわとにしさわ)
山の憶い出 上
木暮 理太郎
Read 山の憶い出 上 (ふえふきがわのじょうりゅう(ひがしさわとにしさわ)) by 木暮 理太郎 (こぐれりたろう) in Japanese with furigana. JLPT N2. Tap a word for the meaning.
N2 · advanced · modern kanji and kana · 284,014 characters · 565 screens
雪田はいつか又私達を狭い山脊に導いた、巨巌の上を躋って間もなく岩を敷き詰めた些やかな平らに出る、そしてそこに見覚えのある一本の標木と、三年越しの顔を合せた時には何でも構わず嬉しかった。
茫漠たる霧は一度僅に五色ヶ原あたりの雪と緑とを垣間見せたのみで、終に再び開かなかった、それも好い。私はあたり一面に算を乱して横たわる片麻岩の大塊、其一に躯を凭せたまま、眼はいつしか三千米の天空に今年のこの夏の唯一日であるかの如くに今日を矜っている高根の花を趁うて、その純なる姿にうっとりと見入った。花は何か歌っているのではあるまいか、そうだ、大地の偉大なる力の其一の表象である永遠不滅なる山の生命! それを歌っているのだ、遠い過去の生涯の悲み――それが何であったにもせよ――を忘れて、現在の喜びを歌っているのだ、自然の微妙なる耳を除いて、幸福なる山の囚人のみがこの歌の心を体得しうるのではるまいか。誰れを見ても皆楽しそうな顔をしている。若し人が何かの折に飾りなき自己の心を見出し得る場合がありとすれば、今が絶好の機会である、悲みを忘れ痛みを忘れ、純潔と慰安とを抱いて、雪に埋もれた火口の如くに心は沈黙の底に静に燃えている。