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もみノきはのこった
樅ノ木は残った
山本 周五郎
Read 樅ノ木は残った (もみノきはのこった) by 山本 周五郎 (やまもとしゅうごろう) in Japanese with furigana. JLPT N2. Tap a word for the meaning.
N2 · advanced · modern kanji and kana · 167,285 characters · 330 screens
夫人は「いま包ませる」と云ったが、甲斐はそのまま受取って、立とうとした。
「御多用でしょうけれども、いとまがあったらどうか、おみまいに来てさしあげて下さい」と夫人は云った、「誰よりも原田どのを頼みにあそばしているのです、あなたはそういう差別はお嫌いのようですけれど、あなたがみえたあとの、御機嫌のよいことは、わたくしなどの眼にもおいたわしいくらいです」
甲斐は黙って低頭した。
「あなたがみえるたびに、わがままを仰せられたり、荒れたことをなすったりします、どんなに迷惑であるかよくわかりますが、原田さまのほかには、決してあんなふうにはなさいません、原田さまお一人だけなのですから」
甲斐は眼を伏せたまま、お部屋さまこそ、と呟くように云った。夫人こそもっとたいへんであろう、という意味なのだが、あとは云わなかったし、夫人にもその意味は通じたようであった。夫人が鈴の緒を引くと、階下で鳴る音が聞え、甲斐はもういちど、いとま乞いをして、そこをさがった。
待っていた玄察と共に、望岳亭を出ると、外はまっ暗な闇で、少し風立っていた。案内の侍が、提灯を持って先に立ち、玄察が次、続いて甲斐、うしろから成瀬久馬が、下襲を両手で捧げて、ついていった。