Japanisch lesen

Japanische Klassiker mit Furigana

ja-reading.com

Lesen Sie japanische Klassiker online mit Furigana. Filtern Sie nach JLPT-Niveau, tippen Sie auf ein Wort für die Bedeutung und übersetzen Sie einen Satz.

みんげいよんじゅうねん

民藝四十年

柳 宗悦

Lesen Sie 民藝四十年 (みんげいよんじゅうねん) von 柳 宗悦 (やなぎむねよし) auf Japanisch mit Furigana. JLPT N2. Tippen Sie auf ein Wort für die Bedeutung.

N2 · Fortgeschritten · moderne Kanji und Kana · 182.248 Zeichen · 368 Bildschirme

Aozora Bunko

六

自由とは二律からの解放である。印度の詩人カビールが「未だ打たざる太鼓の音」の美しさを歌い、真の踊は「手なく足なくして舞われる」などいうのは、この消息を伝えようとするのである。

六

例えばここに一枚の絵を想い浮べるとしよう。巧に描かなければ美しくならないというような絵は、充分に美しくないはずである。たかだか拙くないというまでに過ぎまい。美しくしなければ美しくならないのは不自由な証拠である。たとえ拙くとも拙いままに美しくなるような作であってこそよい。不完全を厭う美しさよりも、不完全をも容れる美しさの方が深い。つまり美しいとか醜いとかいうことに頓著なく、自由に美しくなる道があるはずなのである。美しさとは無礙である時に極まる。美しくしようということに滞るのは二次である。しかるに多くの人は無礙の道を取らないしまた省みない。

かつて盤珪禅師は人々に教えて「仏に成ろうとするより、仏でいる方が造作がなくてよい」といったというが、美しさの道も、これ以上には説けぬ。美しく作ろうとするより、美しさと醜さとが未だない所に在ればよい。その時より深くは美しく作れぬ。本来美醜もない性が備っているのであるから、美しく成ろうとあせるより、本来の性に居れば、何ものも醜さに落ちはしないはずなのである。