Japanische Klassiker mit Furigana
ja-reading.com
Lesen Sie japanische Klassiker online mit Furigana. Filtern Sie nach JLPT-Niveau, tippen Sie auf ein Wort für die Bedeutung und übersetzen Sie einen Satz.
しんのあいこくしん
新渡戸稲造論集
新渡戸 稲造
Lesen Sie 新渡戸稲造論集 (しんのあいこくしん) von 新渡戸 稲造 (にとべいなぞう) auf Japanisch mit Furigana. JLPT N2. Tippen Sie auf ein Wort für die Bedeutung.
N2 · Fortgeschritten · moderne Kanji und Kana · 94.620 Zeichen · 196 Bildschirme
然るに今まではややもすれば学問に偏してしまい、学者というと、何だか世の中を去り、山の中にでも隠れて、仙人のようになってしまうのであるが、これは大なる間違である。けだし相持ちにして持ちつ持たれつするが人間最上の天職である。かの戦国の時、楚の名士屈原が讒せられて放たるるや、「挙世皆濁れり、我独り清めり」と歎息し、江の浜にいたりて懐沙の賦を作り、石を抱いて汨羅に投ぜんとした。彼が蒼い顔をして沢畔に行吟していると、其所へやって来た漁父が、「滄浪之水清兮、可三以濯二吾纓一。滄浪之水濁兮、可三以濯二我足一」と歌って諷刺した。この歌の意味は、「お前が厭世家になって河に飛込み、あたら一命を捨つるのは馬鹿なことだ。聖人というものは、世と共に歩調を進めて行かねばならぬ、今死ぬる馬鹿があるか」という意味であろう。してみると屈原よりも、漁父の方に達見がある。またかの伯夷叔斉は、天下が周の世となるや、首陽山に隠れ、蕨を採って食った。その蕨は実に美味しかったろうが、我輩の伯夷叔斉に望みたいことは、蕨が美味しかったなら、何故その蕨を八百屋へでも持って来て、皆の人にも食わせるようにしてくれなかったか、また蕨粉の製造場でも拵えて、世間の人と共にこれを分ち食するようにしなかったかということだ。