Japanische Klassiker mit Furigana
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おやばかにゅうどうき
親馬鹿入堂記
尾崎 士郎
Lesen Sie 親馬鹿入堂記 (おやばかにゅうどうき) von 尾崎 士郎 (おざきしろう) auf Japanisch mit Furigana. JLPT N2. Tippen Sie auf ein Wort für die Bedeutung.
N2 · Fortgeschritten · moderne Kanji und Kana · 12.182 Zeichen · 24 Bildschirme
父親
父親
三十五歳のとき、長女が生れた。昭和八年である。私にとっては、まったく思いがけない出来事だった。そのとき、ある婦人雑誌から、はじめて父親になった感想を求められ、父親たるべき腹の出来ていないことを答えたことを覚えている。当時の日記をひろげてみると、つぎのような感想が書きなぐってあった。
「わが子一枝(カズエ)、一日ごとに変化の兆、歴然たるものあり。成長に向う変化である。その変化を前にしていると、父親というかんじが、どこからともなく湧きあがって、われながら思いがけない荘厳な霊気にふれ、ひやりとすることがある。しかし、子供の変化を知覚するごとに、父親であるという意識がひとりでに伸びあがってくるから不思議である。犠牲、献身の尊とさが子供への愛情の中から湧きあがってくるのも、今は唯、不思議だと思うだけである。それにつけても、わが子への愛情が日に夜に高まるにもかかわらず、厭世虚無の思いがどっしりと心の底に根をおろしてくるのはどうしたわけであろうか。夜ふけて、わが子の行末を思う佗しさがこの世への厭離の念を唆るわけでもあるまい。わが子への愛情が、ひとすじに澄みとおってくればくるほど、子供を失ったあとの悲しさや、子供とわかれてゆく心の慌しさが、まぼろしのごとくにわれを追いかけてくるが故でもあろうか。