Japanische Klassiker mit Furigana
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しんこざいくれんがのみちすじ
新古細句銀座通
岸田 劉生
Lesen Sie 新古細句銀座通 (しんこざいくれんがのみちすじ) von 岸田 劉生 (きしだりゅうせい) auf Japanisch mit Furigana. JLPT N2. Tippen Sie auf ein Wort für die Bedeutung.
N2 · Fortgeschritten · moderne Kanji und Kana · 22.580 Zeichen · 45 Bildschirme
なんどとやっていた。王テキサイ(字不明)という片腕ない支那人が父のところへよく来たが、これは馬車に腕をひかれたのだとか、多分品物を売り込みに来たものであろう。何しろ日清戦争のじき後のこととて、王テキサイという名が大きな敵の様な気が子供心にして反感を持っていたことなど思い出す。
私の家の隣には勧工場があって私たち兄弟たちは毎日の様にそこへ行った。何でも私の家の家作であって、南谷という人がやっていた。南谷は今以て人形町に店があるがきんちゃくが漆くいで入口に出来ていたので俗にきんちゃくの勧工場ともいっていた。勧工場も日露戦争後、デパートメント・ストーアの流行とともにだん/\とすたれて、今は殆ど無くなった様だが、当時は少し人出の多い盛り場には必ず一つや二つはあったものだ。銀座だけでも一丁目のもとの読売新聞の一、二軒隣に丸十、そのすじ向いに丸吉、それから南谷、震災前まであった菊屋のところに小さいのが一つ(これはじきなくなった)尾張町の今の鳩居堂のすじ向うあたりに一つ、一丁おいて又一つ、それから新橋際の博品館と六、七軒の勧工場があったものである。
誠にこの勧工場というものは、明治時代の感じをあらわす一つの尤なるものであって、私共にとっては忘れられない懐かしいものの一つである。