Japanische Klassiker mit Furigana
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ほうねんぎょうでん
法然行伝
中里 介山
Lesen Sie 法然行伝 (ほうねんぎょうでん) von 中里 介山 (なかざとかいざん) auf Japanisch mit Furigana. JLPT N2. Tippen Sie auf ein Wort für die Bedeutung.
N2 · Fortgeschritten · moderne Kanji und Kana · 66.110 Zeichen · 131 Bildschirme
四十五
、そこで大いに尊敬して仕えていた。同年の冬、病にかかった時筆を執って身の上のことを書き起したが、それを羈中吟という。間もなく春秋八十歳で念仏往生を遂げた。
この律師が鎌倉を立って飯山へ下った時に武州刺史朝直朝臣、その時二十二歳、相模四郎といったが、律師の輿の前で対面して仏道のことを尋ねている。刺史朝直朝臣はその教えを聴いて真実の信念を起し、毎日六万遍の念仏を誓ったという、この律師、道心純熟し、練行積って三昧発得の境に達した。この律師の教風を「多念義」とも、「長楽寺義」とも云う。
遊蓮房円照は入道少納言通憲の子、二十一歳にして発心出家、はじめは法華経をそらに覚えて読誦していたが、後には法然の弟子となって一向に念仏する。法然も、
「浄土の法門と遊蓮房に会ったことは、人界に生を受けた思い出である」
といわれたそうであるからなかなか堅固な行者であったろうと思う。
四十五
勢観房源智は備中守師盛の子、小松内府重盛の孫であって、平家が滅びた後、世を憚って母御がこれを隠していたが、建久六年十三歳の時、法然の処へ進上した。法然はこれをまた慈鎮和尚に進上せられ、そこで出家をとげたが幾許もなく又法然の処へ帰って十八年間を通じて常に給仕をしていた。