Clásicos japoneses con furigana
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したやそうわ
下谷叢話
永井 荷風
Lee 下谷叢話 (したやそうわ) de 永井 荷風 (ながいかふう) en japonés con furigana. JLPT N2. Toca una palabra para ver el significado.
N2 · avanzado · kanji y kana modernos · 122.971 caracteres · 246 pantallas
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九月十五日に鷲津毅堂は長谷川昆渓を駒込吉祥寺門前の幽居に訪い偶然寺門静軒の来るに会った。静軒が『江戸繁昌記』の著者たることは言うを俟たない。
寺門静軒名は良、字は子温、通称は弥五左衛門。寛政八年江戸に生れた。水戸の人寺門勝春の次子である。静軒は自ら「母は田中氏、生母は河合氏。」といっているから庶腹の子であろう。家貧きが上に幼時怙恃を失い諸方に流浪し、山本緑陰の家に食客となること三年。上野寛永寺に入って独学し、文政年間始めて駒込に居し帷を下して徒に授けた。天保三年より『江戸繁昌記』を刊刻し、六、七年に至って全部五編を出した。書中に浅草新堀端に住したと言ってある。天保八年某月『繁昌記』のために罰せられて江戸市中に居住することを禁ぜられたので、髪を削って武州秩父辺より上毛の間を流浪し知人の家に泊り歩いていた。『文鈔』二巻および『詩鈔』一巻を検するとほぼその流寓した跡を窺うことができる。嘉永二年その年五十四、知友某氏が向島の別墅に居を定め『江頭百咏』を著し、また人に勧められて自ら寿碣誌をつくった。寿碣誌は没後石に刻せられて浅草橋場総泉寺の境内に建てられたというが、わたくしはまだこれを見ない。